外に向かった男性が内にむく奇跡
私は作家になるんだと信じ、夢に向かわれた男性。
宗教や、修行に取り組み悟りを求めた。 自分は、神の手となり世界が知る物書きになるのだと。
結婚して子どもができた後も彼の思いは強く、一図に進んできた。
海外での修行や、かかる費用もパートナーが工面してくれていた。
パートナーは応援してくれていたし、わかってくれていた。
はずだった・・
時が流れて、子どもが大きくなってきた彼の元へ、パートナーからの三下り半。
そこで、はじめて今まで自分が信じてきたことを客観的に振り返ってみるのです。
それまでは、MIROSSに出逢っていても、「まだ、なんとかなるだろう」と無意識で思ってしまうものですね・・
Alysonもそうでした。
八方ふさがりで、どうすることもできないとあきらめてはじめて実践へ切り替える事ができるののです。
Kさんはミロスカリキュラムや、カウンセリングを受講され、どんどん自分の内側に入っていかれます。
自分自身という自らを分けたパートナーを視点から観ていく。
カウンセリングの感想がすごくリアルに溢れ、癒される文面なので、文面そのまま共有しますね(もちろんOK済です)
深いですよ♡♡じっくり読んでくださいね。
パートナーの思いを感じる(Kさんの感想)
今からおよそ5年半前の2015年11月、私が悟りの修行のために、フィリピンのセブ島にいったとき、中学1年生の息子は強い喘息で入院しました。
竹原先生からは、そのとき、妻が何を感じたのか、私が奥さんになって感じてみてくださいと言われました。
セブ島と東京はラインで連絡を取り合いました。
「今日、入院した。」
「昨夜はよく眠れなかったようだ。」
「少しよくなった。」
といったポツリポツリのメッセージの行間の中で、妻は何を感じ、何を言おうとしていたのか、私は「あきらめ」を感じました。
自分の決めた目標ばかりを見て、家庭のことはちゃんと見ない自分の夫であり、息子と娘の父・・・
竹原先生に「それは、〇〇が〇〇をあきらめていたということ」と言われて、たしかにと思いました。
私は、神から使命を与えられていると信じ込んで、放送作家から始めてものを書く仕事-作家に向かっていました。
そのために、それ以外のあらゆることを犠牲にしてきました。
休息や好きなことをやることもその仕事を遂行するために、必要であると考えられなければすることはありませんでした。
悟りの修行もそれを表現するためでした。
ほんとうは、人並みに旅行をしたかったし、車ももって買い物やあちこち行きたかった。
ファッションもこだわりたかった。
金を稼ぐことより、神のペンとして世界に通用する作品を書けるようになることを優先した。
自ずと家族は犠牲にしてきました。
妻との生活をほとんど見てこなかった、無視してきたと言っても過言ではありません。
家族は、ひどいことですが、志を遂げるための道具に過ぎなかった。
自分がその方向に限界を感じてきて、またあらゆることを犠牲にしてきたがゆえに、疲れて先細っていくのにもかかわらず、それでも押し切ってきた。
つまり、生涯を捧げようとしてきました。
志に向かっていくことが、私の男性性だとして、その反対の私の中の女性性を今のことばでいうと「ガン無視」してきました。
妻は、私に「離婚」を突きつけることで、無意識ではあるでしょうが、私の女性性の叫びを教えてくれたのです。
竹原先生から言われた「パートナーの自分へのあきらめを感じたということは、〇〇が〇〇をあきらめていること」。
それは別の言葉でいえば「絶望」と言い換えることができると思います。
〇〇が〇〇に絶望している。
そういえば奥さんからは、「(今まで希望をつないできたけれど)もう切れてしまった」と言われたことがあります。
そのころから私への態度がすっかり変わってしまいました。
皮肉なことです。
私が「使命感」「特別意識」といった「希望」に全人生をかけていけばいくほど、一方で、自分の中に「絶望感」を巨大にしていた。
実は、あまり人に言いたくないことですが、以前より「死にたい」「自殺したい」ということが時々、口癖のように出てしまって、おさえることができずにいました。
私の無意識に抑え込んだ絶望がつい口走ってしまうのでしょう。
竹原先生のカウンセリングを受けていてうれしいのは前回もそうでしたが、「希望」を感じられることです。
「ミロスをしていても離婚することも離婚しないこともある。ミロスはそのためにすることではない。自分を知るため」
といった厳しいことも言われましたが、終わってみてなぜか希望を感じられます。
それは、相対の中の「希望・絶望」の、「希望」ではなくて、絶対視点からみた「希望」であるからなのかもしれません。
志‐神に向かってストイックに自分を磨いていくことが自分だと思ってきたのです。
しかし、実は、生活を楽しみたい、暮らしを豊かにしたい、家族や周囲の人々と仲良く暮らしていきたいという私も自分だったのです。
いや、その両方が合わさったところに、ほんとうの私がいたということでしょうか。
それを身をもって教えてくれ、今でも教えてくれているのがパートナーである奥さんなのです。
妻もこの離婚騒動、まだ終わってはいないのですが、さぞや苦しかったでしょう。
そして、この結婚してからおよそ20年間というもの、よくぞ耐えてきてくれました。
おかげで、今や、ようやく、この20年間どころか幼き頃から50年間以上ずっと隠して抑えてきた私の半面(女性性等)に光を当てるときがきたのです。
今回のカウンセリングを通じて、さらにその方向―私を知る―に向かっていくことの大切さ、気づきを与えられ、大きく一歩前進することができたように感じています。
感謝しております。
実は、カウンセリング日である7月29日は、なんとパートナーすなわち奥さんの誕生日でした。
つまり私の誕生日でもあります。
これをきっかけに生まれ変わったつもりでやっていきます。
家族のために頑張った
Kさんはカウンセリングの中で言ってました。
どうして、宗教や悟りの世界にずっとはまっていたのかを。
神から使命を受けたものととして向かったのは、「すべて家族のためだった」と。
家族を幸せにするために頑張った男性。
だけど、ひとりで夢・希望に向かう以上限界があるし、夫婦でのゴールがあきらかにずれてしまうのです。
パートナーの思いを感じ、味わったKさんの声のバイブレーションがあきらかに変わってました。
これからどのようなストーリーを描かれるのがとても楽しみです。
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講師(Alyson)の思いや感情ではなく、ミロスシステムでナビゲートさせていただくカウンセリングは自分で本当の自分に向かっていきます。
気になったら質問も受付してますよ。個人のメッセージも送りやすいのでお待ちしています♡ Alyson