豊かさと尊さのミロスのある看取り

桜満開のとき最愛の父が永眠しました。

90歳の誕生日を迎えた数日後に満足したかのように逝きました。

生誕祭は家族全員で父の元に行って過ごしました。

 

 

 

「何歳になったん?」と聞くと、指を900とゼロを一つ多く折り曲げ、「900歳って仙人やん」と笑わせてくれた父。

ほとんど食べ物が入らなくなっていたけれど、ケーキを用意していくと唾をつけていました。

そんなひとつひとつのエピソードがただただ愛しくて胸が熱くなります。

 

ミロスに出会う前は、片側の「母を悲しませる父」「わたしは父に愛されてない」そういった思い込みから愛のない状況を拾い集めては具現化し、怒りや恨みを溜め込んで「父を見返す為に!」と力を入れた生き方がやめられませんでした。

ミロスに出会わなければ、今なお感情の着地がなされず、後悔やとどこおりの気持ちで埋め尽くされていたのではないかと思います。

 

今、看取りを終えて感じるのは、父への後悔や罪悪感は全くなく心豊かで満たされているということです。

 

 

緩和ケアを始めたのが3年前。

コロナ渦になり、施設ではリモート面会になり、会えるようになっても15分の面会、色々条件は変わったけれど、ミロスのある看取りは、施設・医師・看護師の方々のチーム力で、父にとても寄り添ってくれて「これほど大切にしてくれるの」という思いしかありません。

こんなにいい人達に囲まれるものでしょうか!?

 

痛みの自覚のないまま数年を過ごし、告知の時の覚悟として「今月かもしれないし、2年持つかも」との医師の言葉をゆうに超えて、静かな暮らしは苦しみではなく、徐々に自然に枯れていく姿を見せ続けてくれました。

その姿はとても尊いものでした。

 

出来ていたことがだんだんできなくなっていく

食事の量が減り、お楽しみだった晩酌ができなくなる

食べ物を受け付けない日が増えてきて、杖で歩くことができなくなり車椅子へ

車椅子に乗っても筋力がなくなりずり落ちるようになって、床につく

 

子育てとは真逆な日々できなくなっていくことが多くなる姿ですが、可哀想とか悲しみの感情ではなく、その空間が豊かでとても尊いのです。不思議な感覚でした。

 

“あるがまま”の姿、愛から生まれて愛に戻っていく流れをただただ受け取っている感じでした。

 

少しづつ少しづづ肉体のお別れの準備に向かう中、余す事なく感謝や想いを伝えていけました。

あちこち触って存分に甘えることもしました。

また、夫が父に向かって話している中に「恵子さんと一緒になって僕はずっと幸せです」とプロポーズのような言葉を聞くこともできました。

看取りを通して家族はもちろん、親族や親戚がすごく身近になりました。

看取りとは少し距離ができてしまった血統が元に戻るためのものでもあるのですね。

 

 

話せなくなる直前に父がこう言いました

「やり残したことはないなぁ」「子ども・孫が生まれた時が一番幸せやった」と。

 

“我が人生に悔いはなし!” と私には聞こえました。

 

昭和一桁生まれの父は幼少期に母親を亡くし、戦時中は遠い親戚に預けられて食べ物もままならない状態で、空腹で空腹で「終戦まで生きられないなぁ」と何度も思ったそうです。

あきらめず貫いてくれた最強のDNA。

博多生まれの父が家具職人の弟子として京都に来て、京女の母と約束通り出会い、命のバトンを繋げてくれた。

 

 

最近のことはめっきり弱く忘れる父でしたが、昔の記憶力は衰えませんでした。

漢字に強く、よく息子と将棋を指していました。将棋などの話もしていましたが、いつも話しが着地するのは父が母に出会った時のエピソード。「京美人のお母さん(父の見解)がお嫁に来てくれた」それが父にとって最高の人生の美談で、いつも気づくと母のおのろけになっていました。笑

 

「母を悲しませる父」は完全なるイリュージョン。

母が先に旅立った8年の間に、取りこぼしていた愛を辻褄合わせのように父を通してしっかり受け取りました。

一緒に何度も出かけ、家に泊まりに来てくれた時に父の好物料理を作ることの楽しかったこと。

内と外の豊かさが一致していきました。

母よりだいぶ年上の父ですが、順番が逆ではダメだったのです。全てがパーフェクトでした。

 

 

3月生まれの父と、3月で誕生日が1週間違いの娘はちっちゃな頃からいつも一緒にお祝いをしてきました。

 

家族で父の90歳を祝った後、飲めず、食べれず、話せず、動けずの状態で呼吸をして数日間過ごしました。

父の横に泊まった時にふと「お父さん何か待っているのかな‥?」と思ったものです。

その問いに答えるかのように、おじいちゃんのことが大好きな娘の誕生日に逝きました。

その日は娘の20歳の誕生日でした。父はその日を自ら決めて、旅立ったと思います。

命日が娘の誕生日。これからもずっと誕生日ごとに父を強烈に感じられるギフトをもらったようです。

 

生と死が同時に内側で更新されました。私は何も失っていません。

この父を選んだ私、最高にアッパレ!です。 献杯  Alyson

 

新次元思考テクノロジーMIROSS ミロスアカデミー講師・竹原恵子 近日カリキュラム

 

 
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